中沢新一 / 熊から王へ(ISBN:4062582392)
講義を文章に起こしたものなので?たまに論理に飛躍があるように感じたり、また作者がロマンティストに思える店もありましたが、全体としてはまとまりがとれているように感じました。
以下覚え書き
- 「対称性」
- 『Steel Ball Run』のリンゴォ・ロードアゲインがいう所の「男の世界」≒作中の「対称性の世界」?
- 対等な条件での決闘/相手への敬意=生き物を殺す事に対する精神の安定?
- +共存意識?
- 捕食の連鎖
- 陸の獣=人間。仲間。
- 海の生き物≠人間
- 鮭(川の生き物)は人間らしい
- 「自然状態」と「社会状態(世俗性)」
- 強力すぎる武器や不意打ち等の卑怯な行いは、対称性を揺るがせる存在。
- シャチと剣の話
- 熊の貌に傷をつける話
- 「非対称性」=歯止めをかけるモノのない状態?
- 鯨を仲介にした最低限の対称性の恢復 or 外部の力(文明の力?)で対消滅
- 「東北」=環太平洋のモンゴロイド
- 神話
- 熊と鮭の神性
- 最上義光の鮭好きも、ひょっとしたらこの辺に由来していたりする???
- 「ふゆ」=「(魂、呪術的な力を)ふやす」
- 「人食い」=エゴ/世俗性を消失させるもの。人を超越した存在。
- 熊=「人食い」
- 戦士やシャーマンは「人食い」と同じ(または近い)存在
- 限定されない、恒常的な力(武器, 思考含む)=「王」と「国家」の発生
- 歯止めをかけるモノがない→「対称性」の崩壊
- 「自然」からの神性の剥奪→「野蛮」であり「文明的」
- 歯止めをかけるモノがない→「対称性」の崩壊
- 「テロ」=弱者が絶対的な強者に対する、自爆的な「対称性」の恢復手段
- 『氷河鼠の毛皮』
- 野蛮vs野蛮
- 不幸の連鎖?
- 野蛮vs野蛮
- 『氷河鼠の毛皮』
- 「国家」に対する「対称性」の恢復=「宗教」(特に仏教)の出現
- エゴ/世俗性を消失させるもの、という観点では、「国家」と同じ?
- 権力基盤そのものの消失という意味で異なる。
- エゴ/世俗性を消失させるもの、という観点では、「国家」と同じ?