血液型と妖怪

駅のホームでB型の人(恐らく仕事にルーズ)に手を焼かされているおっさん2人の会話から、つらつらと思ったこと。

血液型と性格の関連性には医学的な根拠がない、というのは以前からたまに話題になる(そしてすぐ消える)話で、
たとえば、ざっとぐぐった所だと、こことかこことか、38,800件ヒットする。
確か、唐沢商会の『怪体新書』(ISBN:4334971148)にも載っていたはず。

じゃあ、なんで日本では根付いたのか、ということを、おっさん同士の会話から想定して見ると、
問題に対する合理的な理由付け、としてのシステムが欲しかったのではないだろうか?
細分化すると、分析+事象に対する理由の2つのシステムか?
具体的に書くと、下のような感じ。

Aさんは仕事をすぐ休む -> AさんはB型だ -> B型だからしょうがないよ

もちろん、B型で仕事をキッチリやる人もいるだろうから、こんなものは合理的でもなんでもないんだが、もともと合理的に推し量れない事柄や、そこまで重大でない事柄に対して、その場でひとまず納得できるような回答があると、安心するのだろう。

これはたとえば、B型を「狐憑き」に置き換えて見ると、京極夏彦が書くところの、システムとしての「妖怪」と同類のものだなぁ、と思った次第。

実際には、血液型占いを提唱・流行らそうとする人物・組織の存在と、血液型占いが定着した上で血液型占いの判断結果に自分を照らし合わせるという刷り込みも必要かと思われるので、そうした観点から他の国を比較しなきゃいかんわけですが。
そして、そこまでは面倒だからタダでしたくないわけで、言いっぱなしです。